表紙・オビ・裏表紙
















  
 
 
 
 







中表紙



   
 
    
 
 
 
 
 
 




 
 
 

  
  
 
  




  

  
 
  
  

 
 
 

  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
目次
 
 
 
 
  


 
 
 





 
 
 
 
 
 

 
 
 
 

  



 
  
  



 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
第一章
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
(p18)
 

私は美人で性格がよくて頭がいい!

 
私は毎日、ごきげんで暮らしています。もちろん、不安になったり、悲しくなる時も
あります。でも、南国がいつもポカポカと暖かいように、ニコニコであるのが基本
です。
 
 その理由は、私は美人だから。頭がいいから。勉強もできるから。性格も明るく、
朗らかだから。その上、努力家で根性がある。オープンに人と接することができて、
人と会うのが楽しいから。
 
 でも、私が一番すごいのは、いつもそう思えている自己肯定の深さだと思います。
 
 こんなふうに思えるなんて、我ながら幸せな人間だなあーと思うのです。こんなふ
うに自分を良しと認めることが、一番難しいことだからです。どう見ても美しい女性
が「自分の容姿に自信がない」と言うことがあります。とてもレベルの高い大学に行
き、いい会社に入っているエリートの方でも、コンプレックスを持っていることもあ
ります。
 
 この点では私は、両親のおかげで、仏教に出会う前から自己肯定感は高かったので
す。小さい頃から、親の愛のおかげで「自分は世界一の娘なのだ」と思わせてもらっ
ていました。
 
 
 

最高の家族の元に生まれて


 私は、最高の家族の元に生まれました。すごい家柄であったとか大金持ちであった
とか、そういうことではありません。小さい時は広島の田舎の川沿いにあった小さな
家で育ちました。山と川に守られているような土地で、春はれんげつみ、夏は川遊び、
秋は柿が実り、冬は雪だるま作りが楽しめました。そんな自然の中で、両親の愛情を
あふれんばかりに受けて大きくなりました。
 
 そのおかげで、自己肯定感が高く、自分は最高に良いのだという思いとともに育ち
ました。
 
 私の父はとても面白い人で、しかも日本人離れした所がある人でした。毎日のよう
に私をほめてくれるのです。
 
 「うちの娘ほどのべっぴんはおらん。美人なだけなら、どこにでもおる。うちの子
は美人な上に品がある。この品というものは、つけようとしてもつくもんじゃない。
持って生まれたもんじゃけえ。うちの子だけは、皇居に出しても恥ずかしくない。」
 
と言うのです。さらに「裕子(私のこと)は努力家じゃ。それに、なにクソという根
性がある。努力と根性、この二つがあるから、あんたには何でも出来る」と言ってい
たのです。父がすごいところは、こういう気恥ずかしいことを、外でもみんなに誇ら
しげに話していたところです。謙遜して娘を語るということが、まるでない人でした。
 
 大人になった今でも、日々この父の声が私を育ててくれています。
 
 そんな家庭で育ったため、自然と自分に自信を持って大きくなりました。母親はほ
めて育てる人で、がんばる姿を見せると喜んでくれました。それがうれしくて勉強し、
学校では勉強もスポーツも得意でした。男の子が相手でも、自分が正しいと思えばけ
んかをし、時には泣かせたりするほど、気が強かったです。けんかをしても、父は全
く叱ることもなく、誇らしげに「裕子は男にも負けとらん」と言ってくれるのがうれ
しかったのです。中学のときは卓球部で部長をして、先生にも信頼され可愛がられて
いたように思います。
 
 
 
 
 
 

才能と自信は、無関係


 たとえ素晴らしい才能があっても、自分の良いところを認められない人がたくさん
いるように思います。美人な人、ハンサムな人。頭が良い人。優しい性格の人。そん
な素晴らしい特徴があるのに、自信を持てない。
 
 自分を肯定することは、その方の環境や育てられ方などで、とても難しいことなのだ
なあ、と思います。
 
 自分の家はふつうだと思っていたのですが、大きくなってみると、うちほど明るい
家は珍しいのだと分かりました。今でもよく思い出すエピソードがあります。
 
 私が小学校4年生の時に、担任の先生が私の学習、生活態度を高く評価してくれて
「裕子さんは、考えていることが、もう私たち大人と一緒です」と、母に話したので
した。
 
 母は「この子は特別な子だ。もう私と考えが同じならば、これから私がこの子を導
く必要はない。この子に私がついていって、やりたいことは何でもやらせよう」と思っ
たそうです。つくづく、母もおそろしく素直な人だなあ、と思います。
 
 私がチャレンジしたいことは何でもさせてくれました。中学生で映画にのめり込ん
だのですが、見たい映画が深夜しか上映していないことがよくありました。そんな時
は、二人で市内の映画館に行って、夜から朝までずっと一緒に映画を見てくれました。
 高校生でデヴィッド・ボウイの音楽に夢中になり、グラムロックの時期の赤い髪型
にしたい、と言った時も笑って、面白がってくれていました。さすがに、大学進路を
芸術大学に決めた時は、両親は知らない世界に戸惑っていました。それでも絵画専門
の予備校に通わせてくれ、京都の芸術大学にも行かせてくれたのでした。私はそこで
陶芸を学び、毎日ドロだらけで土と格闘していました。
 
 徹底的に信頼してくれる父と母の元で、私はのびのびと育つことができたのです。
 
 
 
 
 

どんなに恵まれていても、人生は苦しい?



  愛情深い両親のおかげで、自己肯定感に溢れた人生を歩んでいた私ですが、人生
の苦しみも感じていました。愛情の海に満たされているのに。学校では成績も良くて
お友達もたくさんいるのに。それでも人生には苦しみがありました。
 
 光が強いがために、影が濃くなるということがあります。両親が与えてくれる明る
い光は、私自身の影も濃く映し出すのでした。
 
 家族のことを愛していれば愛しているほど「父が先に死んだら」「母が先に死んだ
ら」と考えると不安になりました。いつかその日が来るという事実が、私を不安にさ
せました。
 
 そして何より「自分が死んだら、どうなるのか?」と思うと、黒い穴に落ちていく
ような気がしました。
 
 いくら幸せを感じていても、この楽しさがずっと続くわけではないと思い、孤独を
感じるのでした。
 
 たとえ愛情に恵まれ才能があっても、死んだらどうなるのか、分かりません。
 
 自分に満足を感じていても、それだけでは解決できない問題がそこにはありました。
 
 
 ある時、私は思いました。
 
 
 自分は、特別に恵まれた人生を送っている。
 
 にもかかわらず、絶対に逃れられない苦しみがある。
 
 
 もしかして、人生の本質は苦しみなのではないか? 
 

 
 
 

人生の本質は苦である
 


 その後、仏教に出会って最初に驚いたのは、後のページでも説明している四苦
八苦の教えです。仏教を開かれたお釈迦さまは、人生の本質は苦であることを
二五〇〇年前に見抜いておられました。
 
 「人生は苦しみである」と言い切られて、私は目からうろこが落ちました。苦しみ
から逃れようとしていたけれど、やっぱり人生は苦しみなんだ。でも、それでも苦し
みから逃れたい。どうすればいいんだろうか?  
 
 
 
 
 
 

一般の人が救われる、他力の教え
 


 私は仏教に出会い、そして救われ、世界が180度変わりました。
 
 苦しみが幸せに転換されていく世界です。
 
 自分が死んでいくという人生最大の苦しみまでも、解決された世界。
 
 ほとんどの方が知らない、とても不思議な世界です。
 
 この本を読み進めていけば、仏教の基本的な考え、そして私が救われた理由
まで分かります。
 
 読み終える頃には、苦しみが解決される世界があるんだということを、きっと分
かっていただけるはずです。
 
 次の章では、私の毎日について、少しお話しさせていただきます。


 
 
 
 

  
 
 
 
第二章 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
( ・ ・ ・ 中略 ・ ・ ・ )
 
 
 
 

 
 

 (p35)
 

一度生まれ、二度生まれ

 

私が好きな思想家・心理学者にアメリカのウィリアム・ジェイムズ(一八四二 ―
一九一〇)がいます。彼は一〇〇年ほど前に名著『宗教的経験の諸相』という本を書
きました。ジェイムズは、当時のアメリカの宗教に意味を見出せなくなった多くの
人々のために、この本を書いたのです。
 
 私はこの本が大好きなのです。彼はこの本の中で「人には一度生まれの人と二度生
まれの人がいる」と言っています。

 一度生まれの人とは、生まれながらに人生を肯定的に考えることが出来て、人生に
対して多くの疑問を持たずに暮らしていける人。彼らは、神に対してもそれほど強い
疑いを向けずに、信仰を持って生きられる人たちでもあります。
 
 二度生まれの人とは、なぜ生まれてきたのか? どうして悪いことをしてしまうの
だろうか? と悩み多い人です。神や仏についても懐疑的です。しかし人生の問題に
悩み抜いた後など、何かをきっかけに生まれ変わったように、超越的な存在を受け入
れ、新たな人生を歩むようになります。
 
 どちらか一方の性質だけを持つということも、なかなかないでしょう。しかしジェ
イムズは、この二度生まれの人の方が、挫折による大きな転換期を迎えることで、よ
り意味深い人生を送ることができる、と言っています。
 
 ですから、疑い深くて、とても仏さまのことを理解できそうにないという人には、
深い幸せが待っていますよ。

 大いに期待を持ってください。

 
 
 

湖のほとりで
 

 少し私のことを、お話しようかなと思います。

 私は今、琵琶湖のほとりに住んでいます。北の方なので水もきれいで、うつくしく
透き通っています。秋には子鮎が群れをなして、たくさん泳いでいるのが見えます。
野生のコスモスが、オレンジ、赤紫、ピンク、白、と競い合うように咲いて、目を楽
しませてくれます。
 
 時々、大きなブラックバスがゆっくりと優雅にうねっています。ニゴイはすごく浜
近くまでやってきて、こけを食べています。湖につながる小川のほとりには、セリや
クレソンがしげっています。その小川の土手には、つくしが採りきれないほど、たっ
ぷりと生えています。この自然の恵みを採ってすぐ、カラッと天ぷらにすると、本当
に芳しくほろ苦く美味しいです。毎日これでいいと思うくらいに。
 
 寒くなってくると、ユリカモメが群れをなしてやってきます。とても人なつっこく
て、私が浜に行くと、パンをくれることを期待して、すぐそばまで来てくれます。ポッ
トにコーヒーを入れて、駅前の美味しい天然酵母パンのお店で買ったもっちりした米
粉パンやクロワッサンを、ユリカモメと一緒に食べます。
 
湖の色と波は毎日変化していて、一日として同じではありません。さざ波の音も毎日
ちがうのです。それを見ていると、私も同じ自然の生き物、今日の私は昨日の私とち
がう。もっと素敵な一日になる、と思うのです。

 私のガンジス河、と命名しているのですが、波の音は頭の中を洗い流してくれるよ
うです。悩みや不安で騒がしかった私の心が、透き通っていくのです。小石をぽーん
と投げれば、波紋はどこまでも広がっていきます。波が高くなれば、どこかで船が通っ
ていることが分かります。
 
 手を合わせ、みんなが幸せであるように願います。世界中の苦しんでいる人が癒さ
れるように、と思います。今死にいく人たちもあるでしょう。安らかに最後の息がつ
けるように、と思います。


 
 

毎日、空から数え切れないほどのプレゼントが降ってくる
 

 
 本のⅷページにある「空から数え切れないほどのプレゼントが降ってくる」の絵は、
そんな私の毎日を描いたものです。小さな少女が両手をあげて空を見上げています。
見上げるあまり、うしろにひっくり返りそうになりながら、空から降ってくるプレゼ
ントを受けとめています。一つや二つではありません、受け取りきれないほどのプレ
ゼントです。これが私の毎日です。
 
 この絵は私がアメリカのバークレーに留学していた時に、心からあふれるようにイ
メージが湧いて生まれた絵です。青い空、そよ風、子どもたちの笑顔、美しい新緑、
透き通る海の波。友人と笑い合い、ハグをする暖かさ。数えあげればきりがありませ
ん。
 
 でも私は、最初からこんなふうに生まれてきたわけではありません。仏教と出会う
前の私は、なんともいえない孤独感と寂しさを感じていました。友だちと一緒に華や
いでいる時なのに、孤独を感じたりしました。私には多くの友人もいましたし、家族
にも愛されていました。
 
 しかし、本当に私の全てを理解してくれる人はいないのではないか? という思い
にとらわれたりしました。「生きる」ということは、どういうことなのだろうか? 
私が生まれてきた意味は何だろうか。
 
 今思えば、私はいつも何かを探していたような気がします。自分の生まれた意味を、
真実を。友人の中に、本の中に、絵画の中に、映画の中に。 
 
 
 
 


 
( ・ ・ ・ 中略 ・ ・ ・ )
 
 
 
 
 
 
 
 
第三章

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
(p46)
 

死んだら仏ではないのです 


 さて、これからいよいよ、仏さまのお話をしていきます。でも、その前に。そもそ
も「仏」といわれても、仏とはどういう意味か分からない、いったい何のことなの?
という方も多いかと思います。
 
 「『死んだら仏』と言うから、死んだ人のことを仏さまと言うんじゃないの?」
 時代劇などでも「成仏しておくれ」という言葉がありますね。お葬式で亡くなった
方を、仏さまになられた、と言ったりしますものね。しかし、死んだら、仏さまでは
ないのですよ。
 
 死んだら、だれでも仏になれるわけではないのです。仏教の教えを聞いて、その道
を歩んだ人だけが、仏さまになれるのです。
 
 でも、仏になるってどういう意味なの? 
 仏教では、死んだらそれで終わり、とは考えません。私が久保光雲として生まれる
前には、前世があり、私が死んだ後、また次の世が待っています。これを後世といい
ます。
 
 生死は繰り返すものであり、これは楽しみもあるが苦しみも多い迷いの世界、苦し
い世界といわれているのです。仏になるとは、この苦しみの繰り返しから抜け出て、
二度と迷わない身となることをいいます。
 
 急に死んだ先のことを言われても、戸惑われるかもしれませんね。
 
 お釈迦さまがどんなふうに教えを説かれたのか、ゆっくり見ていきましょう。
  
  
 
 
 

因果の道理
 

「因果」という言葉がありますね。これは仏教の言葉で、物事が起こるのには必ず
原因があり、そして結果がある、ということなのです。たとえば、ひまわりの種を植
えると必ずひまわりの花が咲きますね。他の花は咲きません。仏となるのにも、仏と
なるための種をまいた結果、仏となれるのです。
 
 死んだら天国に行く、と言われたりもしますね。これはキリスト教の考えです。キ
リスト教の神さまを信じた人は、天国に行く、と言われます。
 
 キリスト教と仏教の大きな違いは、キリスト教では、決して人間が神さまになるこ
とはありません。ですが仏教では、人間が仏道を歩んでいき、仏となる種を得ること
ができます。教えを説いてくださった仏さまと、同じ仏となることができるのです。
そんなすごいことが起こるなんて、不思議ですね。仏教では、それほど大きな宝物を
いただけるのです。
 
 
 


 
法事だけが仏教ではない


 よくこういう言葉を聞きます。
 
 「私は、お墓参りも欠かさないし、仏壇に手を合わせます。先祖をしっかりとお守
りしている仏教徒です」
 
 今、本を読んでくださっている方でも、そういう方がおられるかもしれません。
 
 しかし、お墓参りをし先祖をお守りするということは、仏教の教えの中ではほんの
一部分にすぎません。先祖を通じて仏さまとつながるのではなく、あなたと仏さまが
向き合って、しっかりと出会い、仏さまと出会った喜びに満ちあふれた人生を送るこ
とが仏教の教えなのです。
 
 お墓参りを欠かさない、法事を欠かさないのは、その喜びのほんの入り口でありま
す。もっと喜びにあふれた世界があなたを待っているのです。
 
 お葬式や法事などで仏教に触れたことはあるけれど、よく分からない、と感じてい
る人は多いと思います。私も大学生の時に仏教に出会うまで、分からないことだらけ
でした。
 
 
 
 


 
 
 
 第一「お釈迦さまは日本人だ」と思っていましたから。仏教って、今ではとても日
本的なイメージがありますよね。だから、仏教は日本で出来たものとすら思っていた
のです。
 
 
 
 この本では、お釈迦さまの誕生から、仏教の始まり、私が出会った浄土真宗の教え、
親鸞さまのことまでお話したいと思います。
 
 じつは、仏さまは一人ではありません。たくさんの種類の仏さまがおられます。そ
して、それぞれのお浄土を持たれています。浄土も一つではないのです。
 
 お釈迦さまは、この地球上にあらわれた、たった一人の仏さまなのです。お悟りを
開かれた深い境地から、たくさんの仏さまがおられることに気がつき、わたしたちに
お経の中で紹介してくださっているのです。
 
 
 
 
 

お釈迦さまの一生
 


 お釈迦さまは、この世に生まれたときから仏さまでいらっしゃったわけではありま
せん。今から二五〇〇年前に、インドのヒマラヤのふもとに、一国の王子としてお生
まれになったのです。お名前もゴータマ・シッダールタというお名前でした。
 
 そう、日本人ではありません。今、仏教はあまりにも日本的なものとして、私たちのま
わりにありますね。でも。仏教はキリスト教と同じように海外からわたってきた宗教なの
です。
 
 vi~ viiページの図にありますように、インドで生まれて、中国を経て、日本に入って
きたわけです。日本に入ってきたのは聖徳太子の時代で、仏教は海外から来た新しい
宗教だったのです。仏教を受け入れるかどうか、当時の有力者達がもめたほどです。
 
 日本に入ってきてからは、仏教はさらに磨かれ、最高に洗練された形となっていきました。
 
 
 ちなみに、お釈迦さまのお誕生日は四月八日です。
 
 日本人はキリストの誕生日であるクリスマスは祝いますが、お釈迦さまの誕生日もお
祝いしたいなあと思います。この日を花まつりと言って、どこのお寺でもお祝いします。
 
 
 そんなお釈迦さまについてマンガでご紹介していきます。

 
 
 
 
 
 

  
  
 
 
 
 
 
 最初は、王子・シッダールタとしてお生まれになられたところからです。
 
シッダールタが生まれたのはシャカ族の小さな国でしたが、お米のとれる豊潤な国
であったと言われています。そこでシッダールタは王子さまとして、豊かな暮らしを
しておられました。快適に暮らせるように、季節ごとにお城を持っていたといわれます。 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 シッダールタは頭がよく、武術に優れていました。そして、美しい顔立ちであっ
たといわれています。
 
 美しいヤショーダラ姫を妃として迎えられました。かわいい子どもにも恵まれまし
た。これは、現代でいえば、大金持ちだし、ハンサム。頭もよくてスポーツも出来る。
とびきりきれいなお嫁さんをもらい、赤ちゃんも生まれた。今の現代人が「こうあり
たい」と思う全てを、シッダールタは持っていたのです。

 これ以上幸せなことがあるでしょうか? 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

 しかしシッダールタは、これは本当の幸せではない、と感じていたのです。
 ある日、シッダールタの国で農耕祭がありました。豊作を願って催もよおされるお
祭りでした。
 
 シッダールタの前では、農民がいっしょうけんめい畑を耕していました。農民が
くわで土から虫を掘り起こした時、小鳥がその虫を捕まえて食べてしまいました。
 
 さらに上から、大きなワシがその小鳥を食べようと襲いかかっていきました。
 
 シッダールタはそれを見て、憂ゆううつ鬱な気持ちになるのでした。
 
 「なぜ、生きものは殺し合わなければ生きていけないのだろうか。」
 
 殺し合わなければ生きていけないという言葉は、現代人にとってあまりピンと来な
いことかもしれませんね。しかし、朝から食べている物を考えてみてください。ごは
ん、味噌汁、納豆、焼き魚、カレーライス。その中には、多くの命があることに気が
つきます。
 
 私たちはお店で食材を買います。自分自身では、牛を殺したり、鳥を〆めたりはしま
せん。でも、誰かが私のために処理してくれているわけです。お野菜が育つにも、多く
の虫が死んでいきます。そう考えると、私たちも確実に命をとって生きているのです。
 
 シッダールタの父親であるシュッドーダナ王は、息子の気持ちが時々ふさぎこんでい
るのを心配していました。それで、この世の憂うれい、病や老い、死などを、息子の目に
ふれないように気をつけていました。いつもいつも、若く美しい踊り子たちが踊り、音楽が
流れる、楽しい催しをして、つねに王子が心嬉しく過ごせるようにつとめていました。

 どんな時でも、王子のまわりが美しいもので満ちあふれるようにしていたのです。
 
 しかしある日、お城の門を出たシッダールタは、見たことがないものを目にするこ
とになります。 
 
 
 
 
 

四門出遊(しもんしゅつゆう)
 
 

 お城には東西南北に四つの門がありました。

 東門から出た時 背骨は曲がり、顔がシワだらけの老人を目にするのです。シッ
ダールタは、老いという苦しみのあることを知り、悲痛な気持ちになりました。
 
 次に南門から出た時に、病に倒れ苦しそうにしている病人を見かけます。シッダー
ルタは、病という苦しみのあることを憂いました。
 
 また西門から出た時、大勢の人々が泣きながら死者を送る葬列を目撃し、人はいつ
か死ななければならない、という現実を知りました。
 
 最後に北門から出た時、気高く爽やかな姿の修行僧を見かけ、その姿に驚かれ、私
の道はこれだ! と、出家の決意を固めたのでした。
 
 
 このお話は四苦ということを表しています。みなさんは四苦八苦という言葉をご存
知でしょう。辛いことや、悩みが重なってどうにもならない時、「あー、四苦八苦し
てるわあ」などと言いますね。
 
 これはもともと仏教の言葉なのです。四と八にはそれぞれ意味があります。シッダー
ルタは、人間には四つのどうしても避けられない苦しみがある、と気づいたのです。
 
 
 ではこの四苦八苦をマンガで見ていきましょう。


 
 
 


四苦八苦
 
 

 


 
 
 
 
 
1 生苦(しょうく) 最初は、生まれてくることの苦しみです。母親のお腹から
出てくる時の苦しみを、私たちは忘れてしまっています。しかし、母親が苦しみな
がら出産する時、赤ちゃんもまた大変苦しい思いをするのです。その時に、前世が
何であったかを忘れると仏教では言われています。
 
 
 
2 老苦(ろうく) これは、年をとっていく苦しみです。どんな人も、老いること
からは逃れられません。近頃は若さを保つために、健康法や美容に気をつける人が
たくさんいます。私もそうです。でも、若い頃とまったく変わらないようにするこ
とは不可能ですね。老いを感じる時、なんとも言えない寂しさを感じます。
 
 
 
3 病苦(びょうく) いつ、どんな時に病気にかかるかは、誰にも分かりません。
たとえ健康に気を使っていても、難病にかかることがあります。あんなに元気だった
人が……という例が、私たちの周りにたくさんあります。自分も急にそうなる可能性
があるのです。
 
 
 
4 死苦(しく) 全ての面でどんなに満たされていても、必ず死ななければなりま
せん。また、死はいつやってくるか分かりません。交通事故で亡くなる人も、その日
の朝は、まさか自分が死ぬとは思っていません。老若にかかわらず、いつ命が切れる
か分からないのです。
 
 
 
 
 では次に、四苦八苦の「八苦」までを見ていきます。
 
 
 
 
 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
5 求不得苦(ぐふとっく) 求めるものが得られない苦しみです。私たちは常に、
何か欲しいものがあります。新しい服が欲しいなあ、あの車が欲しいなあ、もっと
お金が欲しいと思うわけです。
 
 しかしひとつ手に入れても、また欲しいものが出てきます。ですから、終わりなく
苦しむことになるのです。「欲しいものがあって何が悪いんだろう? 欲しいものが
あるからこそがんばって働くし、成長しようと思うこともあるのではないか?」と思わ
れる人もあるかもしれません。しかし、私たちの欲しい・欲しいの気持ちは、時に盗
んででも何かを手に入れたい気持ちにさせるのです。巨額のお金・社会的な地位・
名誉。そういうもののために、人を亡きものにしてしまう事件は、過去も今も繰り返
されています。


 
 
6 愛別離苦(あいべつりく) これは、愛しい人と必ず離れなければいけない苦し
みです。人によっては「私たちは離れることなんてない。いつも一緒にいるから別れ
ることはないわ」と思われる人もいるかもしれません。しかし、いずれ必ずどちらか
が先に死にます。死が二人を離ればなれにしてしまうのです。
 
 
 
7 怨憎会苦(おんぞうえく) これは、相手のことが嫌いなのに、一緒にいなくては
いけない苦しみです。愛別離苦とは反対ですね。憎み合っている相手なのに、一緒
に暮らさなければいけない。たとえば嫁姑の関係の苦しみはよく聞くことですし、会社
では上司・部下の苦しみもありますね。嫌な相手からイジメを受けて、命を絶ってしま
う場合もあるほど、この苦しみも大きなものです。

 
 
 
8 五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊とは身体のことを言います。これは、身体が元気で
血気盛んであるがゆえに苦しむことがある、ということです。
健康なのに苦しいっていうことは無いだろう、と思われるかもしれません。でも考えて
みてください。現代では健康法や健康食がひしめいていますね。高齢の人だけでなく、
若い人でも健康志向が強いです。
しかし元気であるということは、それだけ欲求も盛んなわけです。ガールフレンドが欲
しいなあと思っても、思うように彼女が出来なければ、そのことで苦しみます。また、元
気であるがゆえにいろいろなものを食べたいと思う。でもそれが食べられないと、ひどく
残念に感じたりします。

 
 
 
 このような苦しみのある世界は、生きている限り続いていきます。生まれ変わっても、
この八つの苦しみから逃れることは出来ないのです。
 
 シッダールタは、これらの苦しみを根本から解決する方法を求めたのです。それは、
なくならない幸せ、死んでもなくならない幸せということなのです。
 
 
 
 
 
 
 
 

死んだら終わりではない

 
 
さきほどお話ししましたように仏教では、死んだらそれでおしまい、とは考えません。
生まれ変わり、死に変わり、生死は繰り返されていくと教えます。これを輪り んね廻と
いいます。
 
 この輪廻のことを、仏さまは苦しみの多い迷いの世界である、といわれたのです。
いつも四苦という苦しみがついてまわる世界であるからです。シッダールタが求めた
幸せは、生まれ変わってもずっと続く幸せ、ということなのです。

 だから、仏教の見方はとても広いのです。この世を心穏やかに暮らすことや道徳的
に素晴らしい人になることが、最大の目的ではないのです。たとえ素晴らしい人徳者と
なり、心おだやかに暮らしても、それは死んでも続く幸せではありません。

 シッダールタは、この苦しみの世をポーンと抜け出て、苦しみのない世界に行くことを
考えたのです。このことを「仏になる」とも表現します。仏になるとは、二度と苦しまない
境地になることです。別の言い方では「お浄土に行く」ともいいます。

 修行僧になることを決意したシッダールタの話に戻りましょう。
 シッダールタは死んでもなくならない幸せを求めて、何もかも捨ててお城を出ました。
王子の地位・美しい妻・可愛い息子・両親・自分の国。その全てを捨てたのです。現代人
の視点から見たら、考えられないことですね。

 しかしシッダールタには、それが本当の幸せではないことが分かっていました。なぜなら
これらの幸せは、死んでしまえば全て失われていくものだからです。

 シッダールタはお城を出て、進むべき道を教えてくれる先生を探し歩きました。旅の途中
で様々な先生と出会って教えを習得しますが、それらも究極的な幸せではないことに、シッ
ダールタはがっかりするのでした。

 
 
 最後は先生を探すのを止め、シッダールタは一人で修行を始めました。
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 一人で修行を始めたシッダールタは、何としてでも苦しみの世界を抜け出そうと
しました。体を痛めつけ、死に至る危険もある修行も繰り返したのです。六年もそう
いう修行を続けたシッダールタの体は、骨と皮のようにやせ衰えてしまいました。
 
 シッダールタは、いくら体を痛めつけても本当の道に到達することはできないことを
認め、修行のやり方を改めました。 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 シッダールタは、近くのネーランジャラー川で身体を洗いました。そして、そのあ
たりの村の少女スジャータが差し出した乳がゆを食べました。体力を回復したシッ
ダールタは、菩提樹(ぼだいじゅ)の下に静かに座り、瞑めいそう想を始めたのです。
 
 すると、真実の境地を目指すシッダールタを邪魔しようとして、心の中から様々な
悪魔が出てきました。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 女性の姿で誘惑する悪魔や、故郷の国や家族を思い出させて心を乱そうとする悪
魔。弱い心や悪い心が次々と現れてきたのです。しかし、シッダールタの心は少しも
乱れませんでした。そしてそういう心を、一つずつ打ち破っていったのです。
 
 そして、ついに全ての心の悪魔を倒し、少しの悩みも無い真実の境地、お悟りを
得られたのでした。このようにしてシッダールタは、お悟りを開いた仏さまとなられ
ました。
 
 
(お悟りを開かれたシッダールタを、尊敬を込めて「お釈迦さま」「釈しゃくそん尊」と
お呼びしています。これは「シャカ族の悟りを開かれた方」という意味です) 
 
 
 
 
 
 

お悟りの中身は何?

 
 

この時シッダールタが開かれた悟りの境地とは、どういったものなのでしょうか?
 よく現代でも「あの人は悟っている」などと言いますが、悟りとは、心が落ち着い
ているとか精神的な安定という意味ではないのです。
 
前にも話しましたように仏教では、死んだらそれでおしまい、とは考えません。生
まれ変わりがあって、死んだら別の生を受け、また次の世に行くと考えるのです。
 
四苦八苦のことを思い出してみてください。悟りの境地とは、そのような苦しみが
一つもない状態である、と言えるでしょう。そして、もう二度と次の世で迷うことも
ないのです。
 
なぜ、みんな苦しみから逃れることが出来ないのでしょうか? 
 
 苦しみの根本にあるものはなんでしょうか。

 お釈迦さまはその答えを見つけられました。

 人間の苦しみの根本にあるものは、煩ぼんのう悩である、と見抜かれたのです。
 
 
 
 

煩悩って何?

 
 
煩悩は、欲望とか悩みの種と言いかえることも出来るでしょう。煩悩といえば、
何を思い浮かべますか? 有名なところでは、除夜の鐘(じょやのかね)で煩悩の
数だけ鐘を叩きます。

 その回数は、一〇八回。人間の煩悩を細かく分けると、一〇八もあるのです。
その中でも、代表的な煩悩が三つあります。これらを三毒の煩悩と言います。

 私たちの苦しみ・悩みの元である煩悩を、少し詳しく見てみましょう。

 
 
1、貪り(むさぼり)の心 これは貪欲(とんよく)とも言います。欲しい欲しいの心です。
何かが無ければ、ああ、あれがあったらなあ、と思い悩みます。あればあるで、もっと
欲しい、もっと沢山欲しいと願います。それで悩みます。
 私もよく思うのです。もうタンスの中は服でいっぱい。それなのに、また素敵な服を
見ると欲しい、欲しい、と思ってしまうのですよね。

 
2、怒りの心 これを瞋恚(しんに)とも言います。自分の思うようにならない、欲しいもの
が手に入らないことで、私たちは炎のごとく怒ります。そのために八つ当たりをしたり、
深い憎しみの心を生んだりします。
 
 
3、愚痴の心 知恵のない愚おろかな心です。因果の道理、自分のまいた種が返ってくる
ことを信じない。真理の境地におられる仏さまから見たら、私たちは明かりのない真っ暗
な部屋で、手探りで生きているようなものなのです。だから本当のことが分からない。

 この愚痴の心こそが、全ての煩悩の根本にあると教えられます。

 お釈迦さまは、この煩悩の心を無くすことが出来れば、苦しみは無くなり、仏となる道が
開けることを示してくださったのでした。


 
 
 
 

自力の道・他力の道
 


お釈迦さまはお悟りを開かれてから、多くの教えを残してくださいました。その教え
を大きく分けると、自力の教えと他力の教えに分けることができます。自力の教え
とは、自分の力を頼りにし、しっかりと修行をして仏となる道です。

 よいことをすればよい結果があり、悪いことをすれば悪い結果が返ってくるのです。
だから、精一杯よい行いにつとめ、生き物を殺さず、腹も立てず、欲しがらず、心を
清らかにして煩悩を無くしなさい。そうすれば仏になれるよ、という道です。お釈迦さま
ご自身も、そのようにして仏となられたのです。

 しかしお釈迦さまは、全ての人が自分のように修行が出来るわけではないことに気
づいておられました。修行のために、仕事をやめ、家族とも離れることは、なかなか
出来るものではありません。また、厳しい修行に耐えうる体力も必要です。病気を持っ
ている人には難しいですし、子供を持った母親にとっては、ほとんど不可能な道です。

 さらに、たとえ修行をしても、煩悩を無くすこと自体とても難しいことです。
 
 そこでお釈迦さまは、自分の力に頼るのではなく、阿弥陀仏(あみだぶつ)の力に
よって仏となる他力の道を示してくださいました。
 
 他力という言葉を聞くと、現代のみなさんは「他力本願ではいけない」などという
言葉を思い出されるかもしれません。何かを自分でやり遂げなくてはいけない時に、
他人の力をあてにするのを戒いましめるためにこう言われます。しかし、本来の意味は
ちがいます。他力とは、阿弥陀さまのお力のことであります。
 
 お釈迦さまの教えは、たくさんのお経に書かれています。その中で、修行ができない
人でも救われる道が説かれたものがあります。
 
 それが大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)です。
 
大無量寿経は
「この教えを話したかったからこそ、私はこの世にあらわれてきたのである」とお釈迦
さまがおっしゃられたほど、とても大切な教えが説かれています。この大無量寿経に書
かれているのが、他力の道なのです。
 
 
 それでは、他力の道・阿弥陀仏の救いとは、どんな道なのでしょうか。
 
 次の章で見ていきましょう。 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  

 
 

第四章
 
 
 
 
 


 
 
 
 
(p84) 
 

 他力の道、阿弥陀仏の教えとは?


 
 
 
 それでは、お釈迦さまが説いてくださった阿弥陀仏の教えとは、どんなものなので
しょうか?
 
 お釈迦さまはたくさんの教えを残されましたが、大きく2つの教えに分けることが
できます。一つは自力の道。二つ目は、他力の道といいます。
 
 自力の道とは、お釈迦さまご自身が歩まれた道です。因果の道理に従って、よいこ
とをすれば、よい結果が返ってくるし、悪いことをすれば、悪い結果が返ってくる。
 
 だから、悪いことを一切やめる。心の中の悪い心、欲しい、憎い、かわいいといった
煩悩の心を、修行することによって一つ残らず無くしていく。その結果、すばらしい
智慧が開けて、仏になることができるよ、という教えです。
 
 しかしそれは、誰もが歩める道ではありません。そこで、お釈迦さまのような修行が
できない者たちのために、阿弥陀仏の教えを説いてくださったのです。大無量寿経とい
うお経があります。
 
その中で、お釈迦さまが輝かんばかりの素晴らしく尊いお姿で、
 
「私は阿弥陀仏を紹介するために、この世に生まれてきた」
 
とおっしゃる場面があります。
 
 そんな阿弥陀仏の教えとは、どんな教えなのでしょうか?
 
 この章では、マンガとともに説明していきたいと思います。
 
 
 でもその前に、ひとつの詩を紹介したいと思います。
 
  涙には涙にやどる仏あり
 
  そのみほとけを法蔵(ほうぞう)という
 
 この詩の中の「法蔵」とは、阿弥陀仏の前身であった修行僧のことです。「阿弥陀仏」
はご存知の方もおられると思いますが、「法蔵」は知らない方が多いかもしれません。
この法蔵という方が、私たちの涙の中におられる・・・・・一体どういうことでしょうか?
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

 あなたはどんな時に泣きますか?
 誰かの前で泣けることは幸せですね。
 
 私は、子供だった時、父や母の前で、聞いてくれと言わんばかりにわんわん泣いて
いました。
 
 でも、大人になってからの涙はちがいます。ほとんどの場合、一人そっと涙を流す
のではないでしょうか。私も子供に心配をかけないように、声をころして一人涙します。

 
しかし実は、私たちの涙の中には法蔵(ほうぞう)という方がおられるのです。
 
 どうして涙の中におられるのでしょうか?
 
 
そのわけも、マンガを読んでいくと分かります。
 
 
 ではまず、法蔵さまのご紹介から始めましょう。
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 お釈迦さまの時代よりも遥か遠い昔に、法蔵という王様がおられました。ある時法蔵
さまは、世自在王仏(せじざいおうぶつ)という、たぐいまれな智慧と光に満ちた仏さま
に出会われました。

 比べるもののないほどの美しい姿・お顔をされていて、尊いお話は宇宙のすみずみ
まで響ひびきわたるのでした。煩悩を全て断たれた徳の深い仏さまで、その素晴らしさ
は世界を震しんどう動させるほどでありました。

 
 
 
 
 

 
 
 
 
  そんな素晴らしい仏さまに出会われた法蔵さまは、これまで感じたことのないほど
感動を覚えました。
 
そして、
 
 「私も世自在王仏さまのような尊い仏となりたい。」

と決心され、ご自分の国を捨て、王位も捨て、お坊さまになられたのです。
 
 
 
  
 
 
 
 
  
 
 
 
 

  
( ・ ・ ・ 中略 ・ ・ ・ )
 
 
 
 
 
 
  
(p125) 
 
 
 
 煩悩にまみれて、日々の生活に忙しい私たち。
 
 でも、静かに胸に手を当ててみてください。忙しい人生を過ごし、行く先も分からない
まま死んでいく。
 
 その死に対して、少しでも不安や疑問を感じた時は…仏さまのお話に耳を傾けてみて
ください。
 
 あなたの求める答え以上のものが、そこにはあるのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第五章
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 

  
( ・ ・ ・ 中略 ・ ・ ・ )
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第六章
 
 
 
 
 

  
 
 
 
 
 
 
 
(p146) 
 

私たちは必ず死にます
 
 


 これまでお釈迦さま、阿弥陀さま、親鸞さまのお話をさせていただきました。この
章では、私自身が仏教の話を聞いてどれほど幸せになったか、ということをお話した
いと思います。
 
 阿弥陀さまの救いを読んでみて、あなたはどう思われましたか? お釈迦さまは、
この迷いの世から抜け出して仏となることが本当のなくならない幸せである、と言わ
れました。そして阿弥陀さまは、修行の出来ない私たちのために、南無阿弥陀仏をつ
くってくださったのでした。
 
 私は今まで、いろいろな方に仏さまのお話をしてきました。その中で、よく言われ
たことがあります。それは、
 
「本当に次の世があるかどうか分からないし、そんな先のことよりも、今が幸せにな
りたい」
 
ということです。世間の常識から考えたら、そう言いたくなるのも分かります。
 
 私が仏教の立場からお答えできることは、死は遠いところにあるものではない、と
いうことです。「無常」という言葉を聞かれたことがあると思います。常であるもの
はこの世に一つも無く、人間はいつ死ぬか分からない存在である、ということです。
 
 死のやっかいな点の一つはこの「いつ死ぬか分からない」というところでしょう。
人が死ぬのは、病・事故・天災といろいろあります。特に事故や天災であれば、死ぬ
直前まで何の覚悟もできないままに死んでいかなくてはならないのです。
 
 死は遠い存在ではなく、生とぴったり表裏に存在するものなのです。
 
 
 
 
 


死の解決
 
 


 生きていると、必ず私たちが経験するものがあります。それが死ぬということです。
次の世という言い方でなくとも、生きている間よりも死んでから後の方がずっと長い
と仏教では教えます。そしてはっきりしているのは、私たちは死に向かって生きてい
るということです。
 
 仏教の教えを聞くということは、死の解決をする、という言い方もできます。自分
の命終わる時、それがたとえ急な事故で終わってしまうとしても、安心していられる。
常に阿弥陀さまとともにあり、もし命絶えても、いよいよお浄土に行くことができる
という大安心は、言葉で言いあらわすことができません。
 
 もちろん私も死にたくはありません。しかし、死ぬとしても全て阿弥陀さまにおま
かせできるのです。
 
 この安心感があるからこそ私は、いつも私のとなりにいる「死の可能性」から目を
そむけず、誤魔化さずに、堂々と生きていけます。
 
 死の解決をすることで、現実の人生もはるかに充実したものとなります。
 
 人生でやらねばならない大仕事はもう終わったという、満足感もあります。
 
 
 孤独でさびしかった私の人生は、180度変わりました。
 
それまで厭世的(えんせいてき)ですらあったのに、猛烈に生に対して前向きでエネル
ギッシュになりました。そして、もともと絵が好きだった私の腕はうずうずしてきて、
すごい勢いで絵を描き始めました。阿弥陀さまに出会えた喜びから、たくさんの絵が
生まれてきたのです。
 
 
 具体的にどんなふうに変わったか、絵を紹介しながらお話しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

  
( ・ ・ ・ 中略 ・ ・ ・ )
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
(p192) 
 

父の死が教えてくれたもの[愛は連鎖する]
 



私の愛する父親について
 
 前のページで私の家族についてお話しましたが、もう少し私の愛する父親について
お話したいと思います。
 
 今こうして思い出すだけで、原稿の上に涙が落ちるほど、私は父を愛していました。
 
 私の父親は、本当に愛らしい人でした。今でもあんなに楽しくて愉快な人に会った
ことがありません。
 
 父親は戦時中に生まれ、兄弟も多く貧しい家庭で苦労をしました。生まれ育った広
島から、口減らしの為に、京都の和菓子屋さんに丁稚奉公しました。よそ者はなかな
か受けいれてもらえない京都で、がんばって働きました。
 
 「線路を眺めては、これをずっと歩いていったら広島に帰れるんじゃがのお、と何
回も思うたよ。でも稼げるようになるまでは帰らんのんじゃ、と心に決めとったんよ」
と父は言いました。その時の思い出も、おもしろ可笑しく何度も語ってくれました。
いつも誰かを笑わそうとしていて、笑顔がとてもチャーミングでした。
 
 若い頃はなかなかのハンサムであったらしく、先輩のすすめで東宝映画のオーディ
ションを受けに行ったこともあるそうです。
 
 自分が大好きな人で
 
「わしほどの男前はなかなかおらんかった。喫茶店で働いていたら、女の子がわしを
見ようと思って、窓からたくさん顔を出しとるんじゃ。『おまえら仕事のじゃまだか
ら、早く帰れよ』とよく言ったもんじゃ。」
 
というのです。
 
 今思えば、だいぶ話を大きくしていたと思うのですが、私は子供だったので頭から
信じており、お父さんはすごいなーと思っていました。大きくなって、そこで突っ込
んでほしかったんだろうなあ、ということが分かってきましたが。
 
 菓子屋で働き、喫茶店も手伝っていた父は、お菓子を作るのがとても上手でした。
商売用のレシピは量も多くて、何を作ってくれてもたくさんのお菓子ができました。
卵20個に小麦2キロ……といった調子です。
 
 ドーナツを作れば、うちの大きなテーブルいっぱいに、うず高く積みあがるほどの
ドーナツが出来ました。
 
「ほら、こうして薄くきつね色になったらひっくり返すんじゃ。あ、早すぎても生地が
生で残るけえの」
 
今でも、父の声が聞こえるようです。
 
 揚げたてのドーナツは本当になんともいえず、香ばしく美味しかったです。輪っかの
ドーナツ、くりぬいた真ん中の丸いドーナツ。どちらも好きで、冷たい牛乳といっしょ
に、いくつもいくつも食べました。
 
 父のいる日曜の午後、私が「ドーナツ食べたいなあ」とつぶやいていたら、『NHK
のど自慢』を見ながらテレビの前で横になっていた父が「ん? つくろか?」と立ち
上がるのです。何の計画もなしにいきなり始まる、ドーナツの日。最後に、ご近所や
お友達に配りに行って終わるのです。
 
ビニール袋にドーナツを詰めていると、父が
 
「お父さんが作ったと言うなよ。男なのにかっこわるいし」
 
とボソッと言うのです。
 
 
お菓子が作れるお父さんなんて、最高にかっこいい、私はいつも思っていました。
  
 
 
 父は私のことを、本当によく可愛がってくれました。日本人には珍しく、人前でも
たくさん愛情表現をしてくれる人でした。毎日のように、感嘆のため息とともに言う
のです。
 
 「うちの娘は世界一じゃ。」
 
 父がすごいのは、それを励ましのように語るのではなく、そう思えて仕方ないから
思わず口にしてしまう、という感じのところでした。小さい頃からそう言われて育っ
た私は、とても前向きで、自分は最高だ、という自己肯定感を持って暮らすことがで
きました。
 
 父は娘を愛し、また自分のことも愛した人だと思います。よく言われたことは
 
「まあ、あんたら、わしみたいないい男を探そうと思っても無理じゃけえ。わしみたいな
男前は、なかなかおらんけえの。しかもおもしろいし。それでいて、わしゃ、楽な男
じゃ。細かいことは何にも言わん。わしほど一緒におって楽な男はおらんよ。」
 
と言うのです。そんな時、母はいつも横で笑っていました。
 
 
  
 そんな愛すべき父と別れることになったのは、突然のことでした。三年前のことです。
 私は龍谷大学の大学院に在籍していました。龍谷大学には交換留学制度があり、
私は一年ほどアメリカに留学することになりました。私の博士論文のテーマでは、
キリスト教と仏教を比較する箇所もあり、実際にアメリカの大学院に行って、神学者
と語ってみたかったのです。
 
アメリカに出発する日の朝、空港で父に電話しました。
 
「気をつけていけえよ。」
 
と父は言いました。
 
 
 
 アメリカに着いてからの数日は、目まぐるしく過ぎていきました。子供の学校の手
続きもありましたし、車の購入もしなくてはなりません。
 
 ばたばたと数日が過ぎて、携帯電話を買って母親に電話ができたのは、出発してから
一週間後のことでした。
 
 
 母は言いました。
 
 
「裕子。落ち着いて聞いてね。お父さんは肺炎で亡くなったんよ。昨日お葬式も終わっ
たんよ。お父さんは、あんたがアメリカでがんばることを願っていたから、わざわざ
帰ってくることはないんよ。」
 
 
 あまりに、急なことで、どう受け止めていいか、全く分かりませんでした。父親が
いつか亡くなることに、覚悟は出来ているつもりでした。しかし、実際に父が亡くなっ
てしまうと、覚悟など全く出来ていなかったことが分かりました。
 
 父が死んだ。あの父の声を聞くことは、二度と無いんだ。
 
 父は数年前にいくつか重い病気をして、身体が弱くなっていました。もしかしたら、
と思う時もありました。でもわたしは「アメリカに滞在するのはたった一年だから、
父は待っていてくれるだろう」と思っていました。
 
 父が亡くなったのは、酷暑の八月のことでした。私が出発した後、父親は何も食べ
られなくなり、すっかり弱って病院へ入院しました。ひどい肺炎を起こしてしまい、
昏睡状態になったそうです。手術はしてみたのだけれど、体力が無く最後の時を迎え
たということでした。
 
 せめて、最後に父の顔が見たかった。声が聞きたかった。
 
 すでに父は亡くなり、私は遠いアメリカにいて、どうにもなりません。大学院での
授業も始まるし、やることも山積みです。
 
 
 でも私には、心の置き場所がありませんでした。毎日お仏壇の前で泣きました。
子供がいるのに、泣いてばかりではいられません。食事も作らなくてはいけないし、
買い物にも行かなくては。私の中では、片方の腕が無くなってしまっているのに、腕
があるふりをして生きなくてはいけない。
 
 時には、父親に対して腹を立てたりしました。
 
 「どうして、最後の顔を私に見せてくれんかったんね?」
 
 親子でありますから、けんかをしたこともありました。一度だけですが「お父さん
なんか大嫌いよ」と叫んだことがありました。
 
 父は分かってくれていただろうか? 私が父を愛していたということを。もう一度
父に会って、それを言いたい。「ゆうこ」という呼び声が聞きたい。
 
 父のことを本気で追いかけて行きたい気持ちにもなりました。ギリシャ神話に出て
くるオルフェは、亡くなった愛する妻を追いかけて黄泉の国へ行きます。「いくら好
きでも、黄泉の国まで追いかけていくなんて、私には分からない」と思っていました。
しかし実際に父親に先立たれ、私の心は今まで感じたこともないほど、喪失感に包ま
れたのでした。
 
 
 アメリカでの私の指導教授であるデイビット松本先生が「お葬式をしましょう」と
すぐに言ってくださいました。私のために、お葬式をした方がいいということを、先
生は分かっていらっしゃったのだと思います。
 
 私は、お経をあげてもらっている間、大きな声で泣きくずれました。父は帰ってこ
ない。二度と会えない。
 
 
 でも、これはお釈迦さまが教えてくださったことではなかったか?
 
 「人は独り生まれ、独り死に、独り去り、独り来る」
 
 この世の縁が尽きて、父は一人旅立っていった。
 
 四苦八苦のうちの病苦と死苦。この二つの苦しみを、父は私に見せてくれているの
だ。私もいつかはこうなると。そして私は今、激しい愛別離苦(あいべつりく)──
――愛する人と別れる苦しみを受け、のたうちまわっている。
 
人間として生きている限り、この苦しみは続いていく。これは仏さまの説法なのだ。
この苦しみから救われるために、私は仏教と出会ったのだ。阿弥陀さまに会わせて
もらったこの身は、今回の命をまっとうしたら、二度とこのように苦しむことはなく
なるのだ。父はこれを、身を持って示してくれたのだ。
 
 そう思うとナムアミダブツ、ナムアミダブツとお念仏せずにおれませんでした。
 
 父は亡くなって自由な身となり、私と一緒にいてくれる。父に相談しながら、この
留学生活を終えたらよい。毎朝父と対話しながら、一年を過ごしました。
 
 
 
 父の墓に参ることができたのは、アメリカの留学を終えて一年後でした。
 
 実家に帰り、父の部屋に行きました。父がいない。あたり前のことなのに、改めて
父が座っていたベッドに父がいないことに、辛さが身を打ちました。いつもここで
タバコを吸っていた父がここにいない。
 
 
 母親が小さな箱を出してきました。
 
 「こんなのしか残ってないけど、いるものは無いよねえ?」
 
 小さな和菓子が入っていた箱に、父の遺品が入っていました。古びた眼鏡、メモ帳、
ハンカチ、そして薄汚れた金色の時計。これが残された物の全てでした。父がいつも
していた時計。高価なものでもなく、ゴムバンド式の安い時計です。
 
 父の七七年間の人生。父の人生は、決して穏やかなものではありませんでした。仕事
が順調な時もありましたが、晩年は身体も壊して仕事も出来なくなり、辛い時期が長く
続きました。
 
 時計に耳を当てると、まだ秒針が動いているのが聞こえます。チッチッチッと。
まるで時計が、私にこう呼びかけているようでした。
 
 「裕子、人生はとても短いよ。すぐに終わりが来る」
 
 私は時計の音に聞き入りながら思います。時は命であり宝物です。仏さまからのプレ
ゼントなのだ。大事に生きなければいけない。私の人生を生き切らなくては。時計の音
を聞きながら、何度も泣きました。
 
 この父親の金色の時計について、いろいろなところでご法話させてもらいました。
アメリカでは、シアトル、サンフランシスコ、バークレー、オークランド、ロサンゼ
ルス。国籍は違っても、肉親を亡くす悲しみは同じです。どの場所でも、泣いて話を
聞いてくださる方々がおられました。
 
 お釈迦さまは「無常(むじょう)」という言葉を教えてくださいました。常である
ものは無い。変わらないものはこの世に一つとして無い。私の命も父と同じように、
いつ絶え果てるか分からないのです。
 
 いつ死ぬか分からない、私の命。
 
 私がするべきことは何でしょうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
第七章
 
 
 
 

 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
(p208) 
 
 
 これまでお付き合いして読んでくださった方も、

「マンガでは、阿弥陀さまが『信心』をあげるって描いてあったけど、『信心』は
どうしたらいただけるの?」

と思うかもしれません。また、「阿弥陀さまはいい人みたいだけど、信じられない
なー」と思う方もあるかもしれません。
 
 ここで言われる「信心」というのは、一般に思われる信心とは違います。

 普通「信心」と言うと、自分から一生懸命信じることを言うと思います。しかし、
阿弥陀さまが言われる「信心」はそうではないのです。むしろ自分から信じるのでは
なくて、阿弥陀さまからいただく信心なのです。
 
 私は初めて「信心はいただくものである」と聞いたとき、とても面白いなあ、と思
いました。私は中学、高校とキリスト教の学校に行っていましたが、その時は自分か
ら「神を信じる」世界だったのです。
 
 それは、気持ちが神さまに向かっている時は、信じることが出来ましたが、ふとした
時に「本当かなあ」と思ったり、「どこにおられるのかなあ」と思ったりしてしまうのでした。
六年間の学校生活で、自分の力で信じるのはとても頼りないなあ、とつくづく感じて
いました。

 ですから、信じる心をいただくのだ、と聞いた時に、ああ、ぜひ聞いてみたい、と
思ったのでした。
 

 

 
 
 
  
( ・ ・ ・ 中略 ・ ・ ・ )
 
 
 
 
 
 
(p216) 
 
 
 「今、死を迎えても大丈夫」と、大安心でいられるか、そのことを喜んでいられるかが、
大切なのです。

 二〇年以上も前に私を生まれ変わらせた喜びは、今もまったく変わることはありません。
むしろ、さらに輝いて私の毎日をキラキラさせてくれるのです。

 しかも仏さまの教えは、食べても食べても無くならないごちそうのようです。生活の中で
仏さまの教えを味わわせていただく幸せは、たとえようもありません。クリームがたっぷり
のった最高のケーキのようでもあり、とてものどが渇いている時に爽やかにのどを潤す
スパークリングジュースのようであり、冷え切った心を暖めるお野菜たっぷりのスープの
ようでもあります。

 はるか昔からあなたのために用意されていたこのごちそうを、ぜひいっしょに味わい
ませんか。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 

(p219) 
 

 あとがき ナマンダーとつながろう!  

 
 

いつの時代も、人生には苦しみがありました。
 
 しかし、今ほどに自殺者が多かった時代はありません。環境的に、天災・公害にし
ても、不安材料は増えるばかりです。これほど、先が見えないことに不安を感じる時
代は無かったのではないでしょうか。そして、不安を支えるはずの人間関係は、希薄
になっています。頻発する悲惨な事件を見ているだけで、胸がつぶれる思いがします。
 
また、様々な事件、天災などから身を守りたいと、誰もが思うことでしょう。

 
 先が見えないこの世の中で、不安だらけの世の中で心を支えるには、目に見えない、
確かなものとのつながりが必要です。サン=テグジュペリの『星の王子さま』では、
きつねが「大切なものは目に見えないんだよ」と言います。心の目を開いたら、見え
ないものが見えてきます。
 
 この世を超えたもの、死なない命とつながることが一番の幸せです。

 そうしたら、どんな時でも腹の底で安心していられるから。この世の苦しみも軽く
乗り越えていけます。今死にたくはない、でも、死んでも大丈夫という気持ちでいら
れるから。どんな時でも、けして一人ではない安心があります。
 
 あなたは日頃さびしさを感じますか? わたしは寂しいです。今まで生きてきて心の
底には、悲しみや苦い思い出がいくらか住みこんでいます。でもわたしは一人では
ありません。いつも隣にナマンダア、がいるのです。
 
 
 
 



 
 
 
  
( ・ ・ ・ 中略 ・ ・ ・ )
 
 
 
 
 


 
 
 
 (p222)
 

 私は阿弥陀さまと出会ってから、人生の目的は果たしたなあ、と感じました。もう、
死んでからの心配はしなくてもいい。いつ死んでも大丈夫な状態になれたからです。
生きてよし、死んでよし、という感じですね。
 
 その時に、今までの私は死んで新しい私になったとも思いました。私にとっては残
りの余生をどう過ごそうか? という気持ちになっています。
 
 今回は入門編として、この本を書かせていただきました。さらに阿弥陀さまと出会
いたい、と思ってくださる方は、私のホームページ(koun18.com)において、ご法
話の動画などが見れますので、ぜひごらんください。そして、分からなかったこと、
疑問に思うことがありましたら、教えてください。
 
 今回このような形で、自分の絵とマンガを使い本にできたこと、とてもうれしく
思っております。
 
 本書を出すにあたって、コスモス・ライブラリーの大野さんには大変お世話になり
ました。以前から、何冊も私の絵を本の表紙に使っていただきました。テレビ朝日の
「ぶっちゃけ寺」という番組に出演したことをきっかけに、本を出す機会をください
ました。
 
 また、龍谷大学名誉教授の武田龍精先生には、暖かい推薦文をいただき、本当に
感謝しております。先生には、龍谷大学大学院に入学した時から、熱く厳しいご講義を
いただき、たちまち私を学問の世界に魅了してくださいました。
 
 今まで様々なお育てをくださった全ての方に、大変感謝をしております。そして執筆を
応援してくれた家族の愛がなければ、この本は完成できませんでした。私に常に湧き
出すエネルギーをくれる、両親の愛。亡くなった父にこの本をささげます。
そして、阿弥陀さまありがとう。南無阿弥陀仏。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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光雲からのメッセージ
 
 


この長い長いページを、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

今回、出版してくれるコスモスライブラリー社さまに許可をしてもらって、特別に
長い立ち読みページを作ることができました。
 
このページを読まれて、少しでも仏教に興味を持ったり、人生に向き合うきっかけに
なれば、最高にうれしいです
 

  
 
 
 
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追記
 
 


 
 
本の執筆中~発売後にとった動画です
 
 
・なかなか執筆が進まずに、ホテルに缶詰めになっている動画 × 2
 
・ブラジル出発の準備をしつつ、本を仕上げている時期の動画、 
 
・どんな思いで本を書いたか、そして本を外国語に翻訳する夢を語っている動画、
 
・ブラジルの皆さんに頂いた評判を話した動画です。  
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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追記
 
 
この立ち読みページを読まれた方の多くが、
私の父が出てくる文章を読んで、「亡くなった家族のことを思い出した」というメールをくださいました
 
 
もし、同じように思われた方は、
大事な人を亡くした方に、わたしの体験を通して、書いたブログ記事があります
 
よかったら、目を通してみてください
 
「大事な人が亡くなった方へ・・・悲しみを癒す」
http://koun18jp.blogspot.jp/2014/08/blog-post_15.html
 
 

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追記
 
 
「どんな順番で、本を書き上げたの?」というご質問をいただきました。
 
執筆の様子をブログに書いていましたので、
 
順番にのせておきますね。
 
「本を書いてみたい」 と思っている人の参考になれば、うれしいです。
 
 
 


出版の話~原稿スタート 
 
・初めての本を出すことになりました 
 
・初めての本を書いています。 
 
・仏教についての、質問を募集しています 
 
・本の形にして、原稿を校正しています
 
 
 
みなさんに内容を披露しました 
 
 
 
 
原稿との格闘 
 
 
 
本の仕上げをした時期 
 
 
 
 
完成~出版後の話 
 
・本に出てくるおいしいパン屋「るぅた」さん 
 
・本のプレゼントに、はがきサイズの原画をおつけします 
 
・書店からの注文と、ご家族を亡くされた方への記事 
 
・本が届きました 広島駅前のジュンク堂さん
 
・本を書いた理由を、動画で話しました
 
 
 
 
 
  
 
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このページで、興味をもたれた方は、
実際に手にとっていただけると、うれしいです

 
この立ち読みページでは、本を書くきっかけや、本人である私のこと、
そして、仏教のスタートである、お釈迦さまのページをたくさんのせました。
 
 
本の残りのページに何が書いてあるかというと、
まず、私がすくわれた教えである浄土真宗の、もっとも大事な内容である、
阿弥陀仏について、たくさんのマンガとともに、解説してあります
 
 
マンガが一番多いのは、この阿弥陀仏の章(第四章)です
もっとも大事な部分なので、分かりやすくしたいと思って、
マンガを多くしました

そして、その阿弥陀仏の教えを残してくださった、親鸞さまのページ(第五章)も、
マンガとともにごらんになれます
 
 
 
そして、第六章「阿弥陀さまに出会えた喜びを描く日々」は、
毎日、救われた喜びを絵に描いているので、
その中で感じたことを、絵とともにエッセイにした文章です
 
 
立ち読みページでは、「父の死が教えてくれたもの」という文章をのせましたが、
 
本の中では、下のテーマの文章をお読みになれます

・私が生まれてきた意味
・自己肯定力が高まる
・逆境を受け入れられるようになる
・生きていることが奇跡
・恋愛の苦悩が教えるもの

 
 
 
最後に、第七章「『信心』って、どんなものなの?」では、
浄土真宗の教えを知ってから、阿弥陀仏にすくわれるまでを、
私の経験とともに書いています。
 
 
 
 
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私が自分の人生を肯定できている理由は、
阿弥陀仏にすくわれたことが土台になっています 
 
 
死んだらどこにいくのか、ということすら分からないまま、
私は死んでいきます
 
 
けれども、小さい頃から悩んできた、この人生最大の問題も、
解決される世界がありました
 
 
そのことを、みなさんにお知らせしたくて、
この本を書きました
 
 
ご興味をもたれた方、どうぞ、手にとってみていただけたら、うれしいです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Amazon 『光雲な毎日』 久保 光雲 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4434207970/